白い百合が好きだ。これはなにかの隠喩ではない。ここで私は「白い」「百合」からあらゆる表象だの文化的意味づけだのをはぎとり、ユリ科ユリ属植物の話をしたい。「ガールズラブ」や漱石の夢十夜を知るよりずっと前から、私は白い百合が好きだ。
まめな祖母のおかげで、我が家の玄関には花が絶えない。四季折々の、色とりどりのあの子たちの名前が私にはほとんどわからないが、百合はかろうじて判別できた。祖母の好みなのか、頻繁に顔を見せるものだから、私は白い百合になんとなく親しみを覚えるようになっていたのだ。
切り落とされたことに気づいていないかのように、花粉をまきちらし、香り、濡れて(柱頭をこっそりなめたことがあるけれど、蜜のような外見から期待したほど甘くなかった)いる白い百合は、ゾンビみたいでとても気に入っている。朝晩、きちんと花瓶におさまっているのを、そわそわしながら確かめるくらいだ。人間が滅びたあと、百合にはのびのび咲いていただきたい。