名前は聞いたことがないまま、私が「無知の知」に近い概念を獲得したのは小学生のころだった。「自分の知らないものは存在しないものとする世界って地獄だな」と思った、当時のできごとがある。ほうれんそうから思いつくものを書き出そう、と言われて、報告・連絡・相談と記したら、なにそれ、とクラスメイト数人に問い詰められたのだった。あまりに些末な逸話だが、上述の気づきそのものは有益だ。小学生がビジネスマナーを知らないのは妥当だとしても、そんなのないよ、と無邪気に語気を荒げて断定されたので、知らないものはないことにされるのかと非常に混乱した。私は知らないものを知りたいから、勉強をがんばっていた。
「私の知らないものはない」のなかで生きる人にとって、その世界は永続するだろう。私はそこからはみ出そうとしてもがいている。そして私は、私がなにも知らないことに打ちのめされ、知るべきことだらけであることを恥じたかったし、知れるかぎりのことを貪りたかった(これは少し大げさかもしれない)ので、文学部に入った。ここでは、先生が嬉しそうに「研究するほど、わからないことが増えていくんですよ」と言う。それもひとりじゃない。私は先生方のことがすぐ好きになった。