私の尊敬するキーボーディストには、ピアノを習っているというだけで「女かよ」とからかわれた子ども時代があったらしい。仮に私が〈ピアノは女が弾くもの〉と決め込んでいたなら、その出会いを機に「男の子もすてきにピアノを弾くのか」と知見を広めていたと思う。
「らしさ」という概念の脆いところは、上述の一例を見れば明らかだ。つまり、反例を切り捨てて、ぎりぎり維持されるのが「らしさ」であるということ。競馬やビールを嗜めば「おっさん女子」? 古き規範より現実を見よ。競馬やビールを愛する女性は(もちろん好まない男性も)いくらでもいるのか、と思い直すべきところだ。こんなことがそこらじゅうで起こっている。快活で自己主張の強い日本人は「日本人らしくない」とささやかれているだろう。それから血液型。私は不必要な場面で血液型をたずねられたら、気分によって虚偽の申告をし、「あ! やっぱり!」という反応をもらう。
あるひとりの人の持ちものは、その人の所属全体に共有されるのではない。たとえば、私ひとりと話しただけで、得意げに「女の子はリードされるのが大嫌いじゃん」「女の子ってレズもののAV観るんでしょ?」などと語る人がいたら、可笑しくありませんか。