検閲前夜のひらログ

おひまつぶしになれば、さいわいです。

続・「らしさ」解体

 規範を逸脱するものの存在が、規範を無効化するのではなくかえって強化するという非合理的な構造を有しているのが「らしさ」である、という話を昨日ここでした。しかし、私が言うまでもなく、「らしさ」を持ち出す人は、それに根拠がないことなどおおよそわかっているだろう。理にかなっていることより、おもしろいことやきもちよいことを優先したいという行動原理はなにより強いし、私自身もまたそれに従っている。

 私は所属する集団から切り離されて名ざされたい。ただ「あなた」「わたし」と呼びあいたい。けれど、そうでない人に思いを馳せてみようとして、これを書く。

 なぜ「私ははっきりと断れない」を「日本人は……」に、「あなたと私の間に友情は成立しない」を「男女の……」に、置き換えて「あなた」「わたし」を蔽い隠すのか。その背後には「みんなといっしょがいい」という意識があるのかな、と最近になってひらめいた。大発見だ。私は「まわりとちがってなにがいけない」「ひとりでいてなにがいけない」と教わって育ったから。周囲と食い違う意見を持つと尊重されない、と思ったこともなく、「みんな」「ふつう」のような顔のない群衆を味方につけるのもうっとうしいだけだったから。