くりかえすが、私は言われたことを言われたとおりにしか受け取れないご病気ぎみで、そのいちじるしいことといえば家の人にASDを疑われたほどである。調べ上げたところで私自身にとっては得られるものが少ないと踏んでいるから、受診はしない。まあきっと、どっぷりダークなグレーゾーンにいるのだろうし、そうでなくても得意なことと不得意なこととが、はっきり、でこぼこしているのはたしかだ。ことばに感じやすすぎる。
ゆえに、言語を精確に運用する気概のない人間との相性は最悪である。「口は悪いけど根はいいやつ」と評されるような友人を私はもたない。口が悪いのに仲よくやっている相手といえば、ただひとり、妹くらいのものだろう。
ここで「口下手」を非難したいのではない。口数の多寡、会話の巧拙、そういったことがらは、どうでもよろしい。話のつまらない人がきらいなのではない。私の話もつまらないし、すくないです。私が黙りこみがちなのを、かまわずにしゃべりつづけてくれたら、それだけでまぶしく、ありがたく見上げるきもちでいっぱいよ。あるいは、いつまでもいっしょに平気で黙りこんでくれたら、好きです。
じゃあ「言語を精確に運用する気概のない人間」ってなによ、っていうと、頭つかってないのがやだって話。安易なラベリング、高圧的・攻撃的な物言い、そういうのが、やだ。例はちゅらいので出さない。だれだっていやかもね。それにしても私のイヤイヤぐあいは深刻で、見聞きしてぐあいの悪くなることばとか相手があって、ちゅらい。どうも、民度たかき、生産性なき、ニッポンのエルジービーティーです。出しちゃった。
ごぞんじのとおり、そのことで退職を目論んでいる。人権意識の欠落した言動をくりかえすボスに会うと、胃のあたりから苦いものがこみあげてくるようになったので。「優良企業」を半年でぬけだしたので狼少年のごとき扱いを受けてもしかたないのだが、いや、だれもそんなふうに私を責めはしないのだが、今回の「会社やめたい」はマジでポピュラーなチョイスっぽくて、なんと従業員はひとり残らず退職を希望している。そのうち半数は今年中にいなくなる。
なにしろこのご病気なので、ボスに出くわした先輩方の実践している「聞き流す」がどうやってもできない。「なんとかしてプラスに解釈する」などもってのほかだ。
誹謗中傷や、善意と無知にもとづくナチュラル差別発言は、さながら路傍の吐瀉物だ。「相手はこころにゆとりがなかったんだ」「いっさいの悪気はなかったんだ」「反面教師にしよう」とか、想像を巡らせることは、べつに、そのくらいたやすいよ。だからといって、それによって苦痛がやわらぐことは、私の場合ない。ゲロはゲロだよ。「思索を深める機会になったから、ゲロ踏んでよかったな」って、思わねえだろ。
この手の比喩はいくらでも可能で、あとは掃除機とかね。わが家の働き者のダイソンちゃんの甲高い鳴き声に私はどうしても慣れなくて、家族が使うときは耳栓をしている。「機械の作動する音であって、人為的な騒音ではないんだ」とか「お掃除ありがとっ」とか、考えているよ。でも、うるさいものはうるさい。だれが悪いとかじゃなくて、とにかく〈解釈しだいで状況が明るくなる〉なんてソリューションは一部にしか適用されないということがいいたい。
ことばに感じやすすぎる患者のともだちよ。浅慮のことばは道端のゲロです。「聞き流せない」ことに悩むのは不毛だ。いやなものはいやだろ。私は私にそう言い聞かせて生きのびる。