みりんを購入しようとしたところ、身分証明書の提示を求められた。セルフレジなのに店員さんが寄ってきて、どうしたんだろう、とふしぎにおもったのもつかのま、年齢確認だった。「失礼ですがお客様、たいへんお若く見えるもので」と。
にこやかに免許証を提示し、くりかえされる「失礼いたしました」に「とんでもないです」を返し、その場を去るまでにはたいしてかからなかった。ことなきを得たって感じだ。
もし年齢確認されたら、なんともおもわないか、若く見られてちょっと嬉しいもんかなってぼんやり予想していた。実際のところ、どっちでもなくて、なんかショックだった。もうすぐ二五歳。「精神に年輪を刻むのを怠った帰結か? 陰影の浅きが外貌にもあらわれたか?」「てかシンプルにイモい?」とか、ごにょごにょ考えながら自転車のペダルを漕いで頬のほてりを冷ました。卑屈になっちゃってかわいそう。なんかショックだったんだよ。
ともだちがこんなふうに悩んでいたら、私はきっぱり否定する。それこそ悪しきルッキズムの内面化だよ。なんで精神の話になるんだよ。でも、みりん買って年齢確認されたのがあんまり衝撃的で、理屈ぬきにへこみんするほかなかった。ウケる。ウケない。
年齢確認を受けたことより、年齢確認に感情を動かされたことがショックだった。年齢がなんだっていつも言っているのに。若さ至上主義から自由なわたくしを気取って、反対側に傾いているだけじゃん。どう見られているか気にしまくりじゃん。みりん買って年齢確認されてへこんでるの、かわいそうだね。
お腹が空いているから頭のはたらきも鈍っているんだな、と仮定して、賃貸マンションのおもちゃみたいなミニキッチンで豚キムチをつくった。この処方がてきめんに効いて、その日のうちにブログのネタにできるところまできた。でも、また年齢確認されたらへこまない自信があんまりなくて、その自信のなさにへこみんしきりだ。「年相応」の外見をつくろうのは、根本的な解決じゃないしね。