「ちかごろは『オレはオスだぜ! ウォー!』みたいな雰囲気から遠い男性アーティストも活躍していて、時代の変化を感じるよね」と最愛の宇宙人に話したところ、「『オレはオスだぜ』なアーティストってだれかいる?」と、きょとんとされてしまった。そういえば、この宇宙人は歌詞がほとんど耳に入ってこない体質なんだった。「ひと昔前なら、……(こうは言いたくなかったが)『オカマみたい』とかって侮蔑されていたかもしれないような、……(<中性的>という定義の前提に誤りがある用語をどう言い換えるか検討し、沈黙しながら)ナチュラルなルックスの人が増えたじゃん」と私は説明した。
大好きなクレイジーケンバンドだって、わりとそっちだよ。VIVA女性、夕食、ソウルパンチ、等々。そうじゃない曲もあるし、音作りがとにかくよいので、私も愛聴しているけれど。
で、私はそういった旧来のアーティストの絶滅など願ってはおらず、いま、いろんな音楽がある、ということがうれしい。先週から、最愛の宇宙人にすすめられて、SIRUPを毎晩聴いている。精緻ながら絶妙なすきまの生きているリズム、にごりながらとけあうサウンド。それから、かすれた低めの声。パワフルだったりキュートだったりするハイトーンに、強い音を苦手とする私の耳はなじめないことが多くて、これまで「楽器はいいのに、声質がね」と聴くのをあきらめてしまったアーティストは枚挙にいとまがないほどだ。そんななか、好みの声をもつ人に出会えた僥倖をかみしめている。
この人のTwitterを覗くと、ますます興味が出る。本人の投稿だけでは飽き足らず「いいね」欄を遡ったところ、親愛の情がしみじみわきおこってきて、もっと好き。最愛の宇宙人よ、ありがとう。BLACKPINKを教えてくれたのもあなたでした。
ところで、<中性的>ということばづかいを私が避ける理由は、この語が男女二元論を前提としていること、かつ、私は性別がふたつであるとは決して考えないことだ。「好きな男のタイプは、男らしさを誇示しない男」とつねづね言っているのも、同じ理由にもとづく。半分は、マチズモに魅力を感じないという趣味であり、もう半分は、<男らしさ>などという、前提の誤った、いわば<存在しない観念>を崇拝する姿勢は理知的に怠惰である、という信条だ。会ったことがないから実在を確かめられないけれど、<女らしさ>を誇示する女があるなら、それもいやだね。
SIRUPや井手上漠やエリカ・リンダーを「中性的」と形容することは、積極的に避けたい。この人たちの体現したい自由に水を差すレッテルにほかならないおもうから。SIRUP本人による、特定の性別を自称する発言というのを私は確認していないので、「男性アーティスト」と見なしたり呼んだりもしないことに決めている。
SIRUPとは、なにものなのか? SIRUPはSIRUPだ。そうあるだけ。本日の、退勤のおともにいかがですか。