検閲前夜のひらログ

おひまつぶしになれば、さいわいです。

ワークライフハック

 気の持ちようの話をします。これといった解決は提示されません。

 生まれてはじめての勤続一年達成を目前に控え、弊社のコンプラセキュリティゆるふわガバガバぶりに嫌気がさしはじめたこのごろ。正社員に登用されたばかりの私は、残業代を申告制から自動計算に変更し、パートタイマーを含む全従業員に有給休暇がシステムから自動支給されるよう要請し、求人に掲載していた年齢制限を撤廃し、面接にて応募者に出産予定等を質問することを禁止し、そのほかにもいろいろした。ここはどうなっているんだ。コンプライアンスはどうした。いままでなにをしてきたのだ。

 いろいろして、疲れた。それを私がせねばならないことに。いくら直截な物言いを厭わない(筆者註:「無礼な」の婉曲表現)性格の私とはいえ、上長に「それはルール違反ですよ」と指摘する行為にはかなりの負荷を感じる。法令違反が放置されている状況そのものにも辟易させられる。私より経験豊富なはずの従業員たちは、非正社員という立場か、性格ゆえか、会社員になりたてのころ主流だった価値観を引きずってか、問題を指摘しない。

 が、それはそれ。私は金銭的な不安を解消した上で無職に返り咲くまで、この職場にとどまると決めている(いつまでだろう)。なぜって、根本的に働きたくない私が、安易にここをやめたところで状況が好転するとは思えないから。それに、いまの仕事も職場も、どちらかといえば──これまでに経験した三社のなかではいちばん──気に入っているのだ。そういうわけで、上述のとおり、気の持ちようの話をしよう。

 頻繁に頭のなかですることは、前職との比較。実際、ましになった。就業規則のみならず、部署内の合理的とはいいがたい慣習にもぎちぎちに緊縛されているより、法令違反や業務フローの無駄はあっても、指摘すれば改善される環境のほうが私には合っている。そう、ここの人々は、話せば通じるのだ。下っ端の私が文句を言っても「しっかりしているなあ」「ありがたいなあ」といったふうに受け止めてくれる。

 次に、さまざまのことがらを分離すること。気に障るひとことを小耳に挟んだだけで、まるいちにちを台無しにしたかのように沈み込むのは、わが思考の悪癖にほかならない。法令違反を指摘せねばならない状況は苦痛だが、それによって通常業務のおもしろみまで損なわれることはないはずだ。仕事に疲れたのは、環境のせいだけではない。自力で新しい仕事を見つけようとしないから飽きがきた、という側面が大きい。本業に打ち込めば、精神の疲労に囚われる時間も短くなるかもしれない。それに、毎日まいにち「法律違反になっちゃいますよ」「そうなの?」などというやりとりに明け暮れているわけでもないし。終わったことは、さっさと忘れたいのだけれど。

 私と私でないものも分離すること。法令遵守は私の業務では決してないのだが、かといって私以外の従業員の業務でもない。私のほかにだれもやらないけれど、べつに、やらねばならないことでもない。「なぜ指摘しない? ひとりが悪条件を呑むことで周囲にもそれを強制してしまうのに」と気を揉むのは不毛だ。過ぎた願いだ。「それはルール違反ですよ」と切り出せる私がとくべつスゴくてエラいだけだ。

 最後に、「ここに座っていればお金がもらえる」という事実に意識を集中させ、それ以上は考えないこと。職場の人間は友人じゃない。友人じゃないのだから、たとえば「面接で第二子の希望をたずねるとか、法律以前にありえんゲロキモい」という感覚を共有していないのも当然のことだ。血液型性格診断だの、私と交際相手の結婚予定だの、雑談にときおり痛痒を感じるのも当然だ(ちなみに、いちばん歳の近い先輩は、私をとりまく人間関係にまるきり興味がなく、口を開けば音楽の話題ばかりでラブい)。相手の側では、気のない返事をよこす私が不可解で物足りないかもしれない。そういうものだ。私は給料を受け取って口をきいているのだ。雑談に参加した時間にも、報酬は発生する。

 法令違反を指摘せねばならない場面を、私は、権利を行使するプラクティスであると受け止めている。感情を排し、根拠を明示して、誤りを指摘する。聞き入れられるかはらはらと待ちながら、卑屈な態度は取らず、つとめて朗らかに(朗らかにふるまうのは配慮というより、自身の気分を害さないためだ)。内心はいやな汗で冷えきっている。そして、しばらくすると、「ありがとう!」が返ってきて、拍子抜けする。よく鍛えられている。いまの職場に移ってから、他人に頼みごとをするのが苦ではなくなったような気もする。

 「ひらちゃんが来てくれてよかった」と声をかけられるのは嬉しい。先輩方は、こちらが照れくさくなるほど、なんどでもそう話してくれる。そのたび、私の仕事には意味があるのだと実感する。仕事がんばろう、とも思う。そうだ、仕事さえがんばればよいのだ。仕事をするのが仕事だ。仕事に付随する気の進まない手続きには、「これでお金がもらえる」が効く。あすもお金をもらいにゆく。ごきげんよう。