上の件について当人たちに抗議すべきか検討して、実行に移す前に挫折した話。おもしろくないです。ぐちです。
どうも、会社秒でやめ太郎です。3社目はまだやめていません。勤続1年あまり、もちこたえています。新記録です。2年は達成できそうもないこころもちでいますが、お金がないので働きつづけています。
こう見えて、気に食わないことを聞かされたら黙ってふてくされるばっかりのやめ太郎じゃないのよ、私は。これまでの1年、下っ端だろうがひとりぼっちだろうが、キレるべき場面ではまっとうにキレ散らかしてきたのよ。ほんのちいさな個人ブログに書きつけるだけじゃなくてさ。
採用面接で、面接官が応募者の女性に第二子の予定をたずねたときとか。今後は同様の質問を一切しないようにと、採用にかかわった全員に周知した。指先と唇が冷えきって震えていたのを思い出す。怒ったり文句を言ったりするのが好きなのでは断じてないし、指摘せねば理解されないことにもがっかりしていた。あのときから、うっすらやめたさはある。それにしても、よくがんばったと思いませんか。思います。
当時みたいに、今回のことも、ことばにして訴えるだけの歩み寄りを試みるべきかな? って、考えた。でも私には無理。
「言わなきゃ伝わらない」ことがらはたくさんあるけれど、それは体質および体調とか、食べられないものとか、不得意な業務とか、いま悲しいのはなぜかとか、私的で繊細で見えにくいものたちなんじゃないの。「特定の国籍について悪しざまに言ってはならない」っていうのは、「人のものを盗んではならない」「人を殴ってはならない」くらいの次元の話なんじゃないの。
ごくありふれた、無知にもとづく差別には、なぜあってはならないかを明言するようにつとめてきた。さっきの、求職者に子どもの予定をたずねるな、とか。しかし、今回のことを「知らなかったから」ですますことはできない。一部スタッフによる中国人を形容することばには、明確な悪意を感じた。嘲笑と揶揄と排斥。
だからもう、いっしょに仕事したくないところまできちゃった。この感情を「気にしすぎ」「他人に期待しすぎ」としてのみこむのは不本意だ。そうしたほうが楽なのだろうけれど。この職場にとどまりつづけたら、きっとそうなる。その事態もおそろしいから、早くここを去りたいのだ。自身の判断への確信を失い、正気を鈍麻させ、ついに加害者となる前に。
かつてラブい友人が、恋人と別れるべきか迷っていた(別れる踏ん切りがつかずにいた、というほうが近い)ときに、「もっと楽しく話せるすばらしい友達がたくさんいるのに、なぜそうではない人を恋人にしておくのだろう」というようなことを言いだして、のちに別れを選んだのだが、私はいまそれになっています。
特定の国を中傷しないおとななんてたくさんいるのに、志を(だいたい)おなじくし憂世をサバイブする最愛の宇宙人や友人にだって恵まれているのに、一日のうちもっとも長い時間をともに過ごす相手が「暴力をふるってはいけません」ていどのお約束を守れない成人でいいのかよ。きょうからおれは、会社勤め以外の仕事を探し太郎。