検閲前夜のひらログ

おひまつぶしになれば、さいわいです。

アスカノに見るセックスワーカー差別

 人気漫画「アスカノ」こと「明日、私は誰かのカノジョ」を公式アプリで読みはじめて、最新話に追いついた。当記事は軽微なネタバレを含みますが、作品内容の解説はしません。読みかけの人や読むつもりのない人にはひたすら不親切な、感情の断片です。私のなかでまだ考えが整理されていません。

 本編はおもしろかった。ただし「差別的な言動が含まれます」みたいなワンクッションはさまないでこれを人目にふれさせちゃうんだ? というざらつきは残った。フラッシュバックに苦しむ読者があるのではないかと気がかりだ。

 私自身、不特定多数から誹謗中傷を受けた経験はないけれど、それでもいやな汗をかいた。かつて投げられた石が、再び眼前に迫るようだった。混乱。当惑。からだが熱いような冷たいような、音が遠くなるような増幅されるような、自身の輪郭をゆさぶる震え。そんなことを、ぼんやりおもいだす。

 問題は公式アプリ内のコメント欄だ。そこには自己責任論と職業差別の嵐が吹き荒れていた。ショックだった。たしかに、留奈の行動には不用意で一貫性のない部分も見受けられた。でも、だから? 人を死に追いやりかねないほど強く醜いことばをもって攻撃されたときに、憤ったり、法にもとづいて対処したりする資格すらないと、だれがいえるの? いえるとしたら、それはなぜ? 留奈が有名配信者と交際しているから? セックスワーカーだから? そんなの、おかしいだろ。

 もう、めちゃめちゃショックだった。これまでは、「セックスワーカーを侮蔑するやつ<も>おるよな」くらいの認識でいたから(もちろんそれも最悪だよ)。ところが、現実はそれどころじゃないらしかった。それが「まっとうな感覚」「一般人の総意」であるかのように堂々と、留奈を冷遇し、嘲笑する声が、あまりにも多すぎた。コメント欄をひらくまで、作中の目にあまる醜悪な誹謗中傷は、匿名の言論空間で群集心理と「ファン」心理が暴走してゆくさまを描写したものと解釈していた。しかし、生身の人間である読者が、留奈の受けた仕打ちを留奈の職業に起因するものと断じ、切り捨てようとするさまを目にしてしまえば、これがセックスワーカーをとりまく現実なのかもしれない、と思いなおすほかない。

 新型コロナウイルス感染拡大にともなう休業の補償対象からセックスワーカーが除外されたとき、違和感を覚えなかった人のほうがありふれていたりするんだろうか。脳みそがクソになってる。ちょっといまは、思考をひろげてやる前に深呼吸が必要で、それから、勉強をしたい。セックスワーカー差別をめぐる良書や記事をごぞんじのかたがあれば、おたよりをください。