検閲前夜のひらログ

おひまつぶしになれば、さいわいです。

タメ口きかれがち

 かかりつけの眼科はうっかりミスのバリエーションが豊富で、毎回ちょっとずつ違う理由で待ち時間が発生する。いまのところ健康を害する種類の重大なミスはないし、感じがよいのでべつに気にならない。「こうしてうっかりミスを許されるために、感じよくふるまおう」とさえおもわせてくれる。というよりシンプルにたいていのうっかりミスは許されてほしい。

 その眼科の助手さんが、私のことをいつのまにか下の名前にちゃんづけで呼んでいる。そういえば、歯科の助手さんも、私と話すときは敬語じゃなくなっていたような。え、私って「子ども枠」に入ってる?

 こういうとき、たぶん「かわいがられている」とき、内心は複雑だ。親切心はありがたいのだ、ほんとうに。ぶっちゃけ、おねえさん(に見える人)に甘やかされるのはめちゃめちゃうれしい。そしておそらく私は歳の離れた人にかわいがられやすい気質だ。同年代の友人は少ないのにね。

 いっぽう、「互いにどういった立場なのか? 私はなにに対してお金を払っているのか? 私とあのお客さんとでなにが違うのか?」が不明瞭になる気持ち悪さも多分にある。私にとっては医師も美容師もカフェ店員も「お金を払ったらサービスを提供してくれる人」にほかならず、またサービスのなかには会話という行為も含まれると認識している。それ以上を求めてはならないし、またこちらとしては求めてもいない。

 この「気持ち悪さ」をより正確に言い換えるとしたら──職務と職権を軽やかに飛び越えて、接近の意を示されることに対する当惑だろうか。ううむ、うまく言い当てられた感触がまだない。これじゃあ、わからない人には一生わからないだろうな。もしおれがマ・ドンソクみたいなルックスでも、おねえさんたちはひらちゃんって呼んだのか? なあ。

 ちなみに、よく行くスターバックスで上述のような当惑を感じた経験はない。すべての顧客に対してフレンドリーな接客を徹底していることがわかりきっているからだ。あと、敬称や敬語に強いこだわりはないので、つねにタメ口の人にタメ口をきかれてもぜんぜん驚かないとおもう。そこじゃないんだよ。もしおれがケイト・ブランシェットみたいなルックスでも……そういうことです。

 仕事としてお金をもらって話す相手に対しては、それがだれであろうと、同じ入力には同じ結果を示してよ、みたいな願望が私にあるのだろうな。マニュアルどおりの決まりきった接客こそ上等、大歓迎だよ。そのぶんの対価しか渡していないつもりだし。

 でも、親しげな助手さんや店員さんに「やめてください。なれなれしいです。不愉快です」と告げる気はまったく起こらないから、困っている。あからさまに失礼な態度を取られているわけではないから。むしろ、だいじにだいじに扱われている。それがいささかも快くないといったら事実に反する。ただし、一定の距離を保ちたかった関係が不可逆の変質を遂げたときの喪失感は重く、「それをあっちのお客さんは味わうことなく済んでいるのか?」という疑問を抱くことも禁じえず……魂がふたつに裂けそうよ。